新しい自分が見たいのだ…仕事する~河井寛治郎~
河井寛治郎の「過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいの今」からヒントを得、[美蕾(みらい)]をテーマに、純白の薔薇と可憐な蕾を描いて作品展に出展したことは前号でお話ししましたが、その絵がきっかけで爽やかな秋の一日、京都の河井寛治郎館を訪れました。
明治に生まれ、大正・昭和の時代に京都を中心に活躍した陶芸作家。
文化勲章受章ははおろか、人間国宝・芸術院会員などへの推挙もすべて辞退し、生涯無冠の一陶工として独自の世界を切り開き、1966年76歳でその生涯を終えた偉人です。
ぎしぎしと軋む床板。大きな木製テーブル、臼の一部を切り取った面白い形の椅子や、さりげなく活けられた野草花。囲炉裏があり、障子や箱階段など当時を偲ばせるあたたかさ。中庭を眺めると芙蓉の花が迎えてくれた。
懐かしさも感じさせてくれる不思議な空間の中に身をおき、しばしぼんやりしていると、大黒柱に掛けられていた振り子時計が突然ぼ~んぼ~んと鳴り響きました。そこは寛治郎の作品と珠玉の言葉の数々が展示され、師を慕う若い陶工たちがその昔集ったという広いサロンで、私はしばし寛治郎の著書を読み耽っていました。
有名な一節[鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥]
この言葉からも寛治郎は目に見えている世界以外に見えない世界までも観ている人。
彼だけの独特の世界観を持っていたのだと思いました。
さらに書物を繰っていくと「新しい自分が見たいのだ…仕事する」
このドキッとする言葉が目にとまったのです。
一心不乱に仕事に打ち込むと頭も研ぎ澄まされるのか、あっと思うような斬新な考え方や方法が閃き、我ながら感動することがありますが、集中力に欠ける仕事をしているときは感動する自分に出会うことはありません。新しい感動に出会うたびに、人は新しい自分に出会うのだと思います。
『花をデッサンするときには、必ず花の裏側も花が付いている部分も、その繋がりを充分に観察すること。茎や葉脈の流れ方もその生命を理解し、時には触れてみることも大切です…』と絵の先生は教えてくださいました。確かに教えどおりにしてみると観察力がつき、見えない部分とのつながりが観えるようになり、新鮮な驚きを感じました。これこそが寛治郎の見た二つの世界に通ずるのかもしれません。
記念館を訪れたことで見えない裏の部分で見えている表のところをしっかり支えているのだということ。相対した者を観る感性。“見える世界と見えない世界”このことが少しでも理解できた自分に出会うことができました。仕事も趣味の絵もまだまだこれからですが「新しい自分が見たいのだ…仕事する」の私でありたいと考えながら五条坂を後にしました。
バックナンバーはこちら
著者プロフィール
1945年1月1日生まれ
兵庫県西宮市出身
株式会社ベルリーナ代表取締役社長
メイクアップアーティスト
カラーアナリスト
日本エスティシャン協会会員
心理学研修トレーナー